被害の現状

1.行政面の現状

(1) 環境省(以下、国)や自治体による、猫に関する現在の動物管理動向

国や自治体は、1つに、「管理から愛護へ」、と謳っています。猫の管理に関しては、相変わらず努力義務で杜撰なままの一方、猫被害問題の解決手段として、「行政主導による合意形成を踏まえたルール作り又はルール作りに対する支援」、という文言が登場します。つまり、それが「地域猫活動」であり、それは、国民に対して、猫公害被害などと言って、野良猫などを排除・管理せず、地域で動物の面倒を見ることが「動物との共生」であり動物愛護だ、とも主張しています。2つ目に、行政・獣医師会・業界団体・愛護団体・所有者団体・学術研究団体・調査研究機関等との協働関係の構築を謳っている点です。

この2点の行政主張は、極めて問題であり危険です。
まず、動物愛護管理法とは、動物を愛し命を尊び、また人や周辺環境へ配慮した責任ある動物の管理をすることを、社会における「人と動物の共生」として、国会すなわち我が国の民主主義の手続きにより定めた法律です。
ところが、1点目に、行政が動物愛護管理法から、「管理」を無視し「愛護」だけとしたことにより、違法な「野良猫の引き取り拒否」をし、「共生」という名の、「野良猫の押付け」による「人権侵害の受忍・忍従の強制」をしているのですから、猫公害が起こらない筈は有りません。よって「猫公害」とは、「行政による犯罪的な人災」だという事です。
また2点目の、「行政・獣医師会・業界団体・愛護団体・所有者団体・学術研究団体・調査研究機関等との協働関係の構築」ですが、まず配慮され、救済されるべき多くの「猫公害被害者」が含まず、被害者の意見や真実を反映させない状況は、行政による猫公害被害者の、「差別」以外の何ものでもありません。

また、このように、行政が、現在の愛護管理法を、まるで封建時代の悪法「生類憐みの令」へと、実質的に中身を勝手に改変していることは、我が国の民主主義・法治主義・立憲主義を、行政が否定していることになり、猫公害に限らず、非常に危険な状況にあるとも言え、極めて重大な問題です。

(2) 地域猫活動の呆れた実態

では、その施策の柱である地域猫活動を見てみましょう。地域猫活動の実態調査で、まず一番に驚き、怒り、呆れたことは、国や自治体はその効果を声高に主張しながら、その根拠とデータを求めると、有りませんというあり得ない回答や、忙しいので答えられない、挙句に個人的意見と前置きしたうえで、地域猫活動では野良猫は減らないと語る市職員や専門家、更には、国内外の様々な研究機関による、地域猫活動(TNRを含む)では、野良猫は減少しないという、研究論文が存在するということです。
事実、福岡市は、平成21年10月から開始した地域猫活動について、我々が度重ね求めた地域猫活動指定地域の調査を、平成27年になってやっと実施したところ、地域猫活動で野良ネコが増えた、被害が増加したというデータが確認されていますが、福岡市の総括では、「8割の市民が賛同している」と言う、意味不明なものでした。8割の人間が賛同しているから、猫公害に対する補償や賠償はしなくて良いのでしょうか?2割が反対しているのに、地域猫活動実施要件である、地域の理解や同意が得られたのでしょうか?その他にも、様々な問題点や疑問点があります。 これを読まれた方は、そんなバカな、と思われるかもしれません。しかし現実には、そんな馬鹿げた施策が、国や自治体により推進されているのです。

(3) 違法行為たる引き取り拒否を隠蔽する、行政の殺処分減少詐欺

猫や犬の殺処分数は、環境省のデータを見ると、年々減少しており、犬猫殺処分は昭和49年の122万匹から、平成28年は5万6千匹、また猫に関しては平成19年の20万匹から平成28年は4万6千匹に大きく減少しています。
これに対し、国や地方は、あたかも地域猫活動で減少したかのように喧伝していますが、現実は既述の通り、単に、動物愛護管理法35条の1項ならびに3項に反する、違法な引き取り拒否により、減少した結果にすぎません。実際に福岡市では、屋外における野良猫の死骸回収が激増しています。つまり、国や地方が、動物愛護行政の成果と自画自賛する、殺処分減少とは、保健所から市中に、殺処分場所を変えただけの、数値操作による詐欺行為です。

(4) 猫公害被害者に対する、行政の犯罪的人権侵害ならびに差別対応

既述の、福岡市の醜い対応である、書面による回答依頼に対して、仕事が忙しい、口頭でなら回答可、市役所来訪のみ回答する、当会代表が、法律に基づいて野良猫の引き取り要請をした際に、福岡市保健福祉局生活衛生部生活衛生課の課長(当時)は、「あなたドロボーですよ」、何ら罪のない市民に対し、冤罪をデッチ上げる事などを、皆さんはどう思われるでしょうか?
仕事を理由に、動物管理に関する市民からの指摘や質問に関する質問を拒否・先延ばしにするなら、猫公害被害救済については、仕事ではないと言うも同然ですし、ましてや、冤罪による人権侵害など言語道断です。 福岡市の愚行は、これに留まりません。
「福岡市動物の愛護と管理推進協議会」という、「人と動物との調和のとれた共生社会」の実現を目的として,学識経験者,動物愛護に関する法人,動物愛護団体や行政関係者等で構成された、計13委員(平成29年度時点)による諮問機関が、福岡市には存在し、当会は猫公害被害者として、その諮問機関に、参画を求めていますが、「誰を委員とするかは、行政の勝手である」と公言し、当会の参画を、正当な理由もなく拒否しています。 つまり、公平公正であるはずの、行政に対する諮問機関に、福岡市により都合の良い者だけが、恣意的に選ばれ、かつ、その者には我々の血税から、謝礼金が支払われているのです。事実、委員のリーダー格の者が、「我々は福岡市の応援団である」と発言しているのですから、話になりません。
すなわち、これらの事は、福岡市が、問題点や法令違反等の事実を隠蔽したいのか、そして如何に被害者を軽んじ「差別」しているか、に他なりません。これは、福岡県および国も同様です。

(5) 動物愛護と生物多様性の保護の為に、相反する施策を実施する行政の愚かさと、見過ごされ隠蔽される差別

平成30年に、鹿児島県・奄美大島では、世界自然遺産登録上の障害である、希少生物(アマミノクロウサギなど)を捕食する、ノネコ(野良猫)対策として、「共生」から一転、鹿児島県の施設に収容後、飼い主を探し、見つからなければ安楽死、としました。
つまり、行政は、猫公害には、動物との共生を謳い、違法な引き取り拒否をしているにも拘らず、自然環境護持になると、野良猫は積極的に引き取っているのです。すなわち、人権は自然環境護持よりも軽んじられており、明白に差別されていることに他なりませんし、行政の言う地域猫活動による、野良猫の減少効果の否定でもあります。
このことは、我が国の行政が主張する「動物愛護施策」が、学術的にみて、いかに情緒的かつ幼稚で馬鹿げた、「ガラパゴス的愚策」かの証明に他なりません。

2.猫被害者の現状

Homeや会の紹介において、具体的被害例を述べておりますので、ここでは補足とその他について触れたいと思います。

(1) 被害問題相談窓口の現状

では、現状において被害に悩む方々は一体どうしているでしょうか?
動物管理における、現状の国や自治体の動きは既述の通りです。
つまり、行政は猫被害者にとって何の助けにもならないどころか、敵ですらあるといった状況です。弁護士に相談する方法もあります。
判例もありますし、非常に有効な場合もあり解決例もありますがタダではありませんし、弁護士を通じた警告を相手が無視した場合は裁判となり、更に時間や労力、費用がかかります。

(2) 様々な忌避策と費用負担

被害に悩まれる方の自宅を拝見したりすると、様々な忌避措置が講じられている事がほとんどです。 しかしその措置は効果の有無にかかわらず、費用や手間がかかるという問題があります。そしてその費用は現在、全額を被害者が負担させられており一切の補助などはありません。
一方で、不妊・去勢や猫の個体情報を記憶したマイクロチップ手術などの、適切な管理の為に飼育者が本来負担すべき費用はどうなっているでしょうか。福岡市の場合は希望者すべてではありませんが、高額にもかかわらず福岡市と獣医師会が補助を行っています。 つまり、忌避に掛かる費用のみならず、ペット飼育に掛かる当然の費用までも、更に何故か我々が負担させられているのです。

(3) 被害問題に関する知識の欠如

不適切な飼育や野良猫への給餌を行う個人や団体の、動物愛護に関する主張を聞かれた方がいらっしゃるかもしれません。感情的で取り乱した連中は全く論外ですが、一見論理的かつ法律や制度を持ち出した話をされると、混乱して反論どころでなくなってしまう場合があります。
しかし、それらを検証してみると、すり替えや矛盾にデタラメと言った主張にすぎない場合がほとんどです。 ただし、日常生活上必要な知識ではない為に、それを得る為には時間や労力を必要とする事になります。

(4) 被害者団体の不存在

犬猫関連の動物愛護団体の存在と、その様々な活動と言ったものはよく知られています。そして行政への投げかけに対しても積極的で、様々な意見を述べており、また行政も愛管行政の在り方について、意見や提言などを行う委員等に任命しています。
一方、被害に悩まれる人々の団体と言うものは、私共が調べたところ存在しません。そして行政へは、猫による様々な被害や苦情が数多く寄せられているにもかかわらず、動物愛護と管理に関する考え方や結果は、既述の通り酷い有様です。 つまり、今までのように行政や既存団体等だけに愛管行政を委ね続けることは非常に危険であり、また(3)のとおり個々がイチから調べ、解決への道筋を模索し行政へ投げかける事は、非効率で個々の負担が非常に大きなものになるにも拘らず、効果は限定的にすぎません。